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インターネットの時代だからこそ「道徳感」が必要【no.1764】

 インターネットの時代だからこそ「道徳感」が必要(2019年9月のコラムです)

 先日、テレビで北野武氏が「道徳の授業を1日4時間くらいやった方がいい」みたいな話をしていました。ちょっとしたギャグだとは理解しつつ、「あーたしかに、道徳の授業をもっとやって方がよいのかもな」と思ったんですよね。

*「世間」の力がとても強い情報社会

 最近他のメディアでも少し書いたことです。いまの時代って「世間」の力がとても強いと思うんですね。インターネットが登場して強まり、さらにSNSが登場してさらに強くなった。人々が人々の言動や行動をリアルタイムで確認しています。そしてまったく関係のない第三者が他人を「評価」をする社会。しかもこちらが頼んでいるわけでもないのに勝手に。

 「世間」の力が強くなったことにはもちろん良い部分もあります。情報が閉じられていた時代には「自分」と「相手」だけが良ければとおっていたものが、「世間」という第三者の目が重要になったこと。たとえば「ブラック企業」なんて言葉があります。ブラック企業という言葉は「インターネットとSNS」の時代だから生まれてきた言葉です。つい25年前までのアナログの時代であったら表に出なかった状態かもしれない。

 従業員自身が自社について「情報発信」できるようになったからこそなんだけども、この「世間」の数が多いってことがポイントではあるわけです。

*ネットの過剰なトラブルははたして知識不足なのか

 インターネットやソーシャルメディアの登場は良い部分もあります。そして悪い部分もあります。どこの誰が発信したかわからない情報が瞬時に広がる。個人情報が瞬時に広がる。事実と異なる情報が瞬時に広がる。そんなことが起こります。

 たとえば、某回転寿司チェーン店で一度ゴミ箱に捨てた魚を拾ってまな板でさばく動画。某コンビニエンスストア店で一度口にふくんだおでんのしらたきを鍋に戻す動画。こういったものがSNSにアップされるわけです。これらはインターネットやSNSの知識が少ないために起こることではないと思います。そもそもの道徳感が低いことが問題なのではないかと思うのです。

*インターネットの時代だからこそ道徳感が必要になる

 仮にソーシャルメディアに動画をアップしていなかったとしても、「一度ゴミ箱に捨てた魚を拾ってまな板でさばく」とか「一度口にふくんだおでんのしらたきを鍋に戻す」とかって微妙じゃないですか。インターネットやソーシャルメディアへの知識不足を指摘する人もいますが、本質的には道徳感の欠如なのではないかと思うんですね。

 インターネットやソーシャルメディアの無かったひと昔。状況や人間性を知っている「狭い範囲の世間」で「またアホなことしてー」と思われただけのこと。それが、いまの時代は「世界中から全否定」「個人情報を晒される」可能性もある。企業には、長年積み重ねてきた企業イメージやブランドが一瞬にして損なわれてしまうリスクもあるわけです。

 インターネットやソーシャルメディアの活用は今後より上手くなっていくと思います。しかし「世間」が強い社会だからこそ、道徳感が必要になるのかもしれません。「インターネット」と「道徳」って離れている気もしますが、そんなことはないです。

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ishida

石田 麻琴 / コンサルタント

株式会社ECマーケティング人財育成・代表取締役。 早稲田大学卒業後、Eコマース事業会社でネットショップ責任者を6年間経験。 BPIA常務理事。協同組合ワイズ総研理事。中小機構販路開拓支援アドバイザー。