著者:石田 麻琴

あの3月11日があったからECMJがある【no.2009】

 11年前の東日本大震災。あの3月11日があったからECMJがあります。今回のコラムはそんな話。ちなみに、いまコラムを書いているのが3月11日です。

忘れもしない3月11日のあの日

 11年の3月11日も金曜日でした。わたしは当時、前職のECベンチャー企業に勤務していました。その日はYahoo!JAPANのトップページに「お財布」の特集が組まれていました。これ、「お財布」のバナーをクリックすると、Yahoo!ショッピングの「お財布」の検索結果に飛ぶ仕組みだったんですね。わたしが担当していたYahoo!ショッピングのお店は「お財布」の部門で検索順位の一位を取っていました。朝からガンガン受注が入っていて、ウハウハだったことを覚えています。

 午後2時46分ごろに震災が発生。このときの状況はここでは詳しく書きません。ビルの7階にオフィスがあったのですが、揺れて揺れて。窓を開けて隣のビルを見たら、そのビルが横に揺れていてびっくりして。ただ、複数回余震があったものの、意外と平然と仕事をしていたんですよね。状況があまりにもわからなすぎるために。

歩いて会合の会場に向かうことに

 困ったのはその日の18時から品川で会合があったことです。現在、わたしが理事をしている協同組合ワイズ総研の会合です。もちろん、当時はワイズ総研に所属さえしていませんでした。オフィスを出ようとすると、前職の同僚が「電車が止まっているみたいだよ」と。オフィスは恵比寿と広尾の間でしたので、品川まで行けなくないと、歩いて会場に向かうことにしました。会場に歩いている途中、第三京浜を神奈川方面に向かって歩いている方をたくさん見かけます。このとき事の重大さにやっと気づきました。

 品川の会場に着くと、会合の参加者はわたし一人だけ。事務所の方が「なんで来たの?」という反応をされています。「いや、うまく事態が飲み込めていなかったので歩いてきました」と伝えました。会合の参加者は他に5名ほどいたのですが、電車も止まっているし、連絡手段も途絶えているしで、結局会場には現れませんでした。そして、わたしは再び恵比寿のオフィスに戻っていきました。

様々な人間模様の小さなひとつの話

 あの日、ひとりだけ歩いて会場に来た人がいる。この話を聞いて大変興味をもってくれたのが、ECMJの初代取締役で、元ダイヤモンド社社長&会長を務めた故・岩佐豊さんでした。岩佐さんは当時、協同組合ワイズ総研の代表理事をされていました。3月11日の時点では、お会いしたのは1度だけ。もしかしたら顔をおぼえてくれていたかな?程度ではあったのですが、この一件により岩佐さんとの関係が一気に親密になっていきます。

 その数か月後にコンサルタントとして初めてのセミナーに登壇。これは岩佐さんがわたしのために作ってくれた講演会でした。また現在、常務理事を務めているBPIAにもセミナー講師として登壇。その後は、ワイズ総研・BPIAとも団体のメンバーとなり、ECマーケティング人財育成という会社をつくることにつながっていきます。

 2011年はわたしにとって大変革の年になりました。それもあの震災があったから。あの日を境に起こった様々な人間模様の小さなひとつの話です。

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